倭姫宮境内


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月讀宮よりさらに北へのぼっていくと、倭姫命(やまとひめのみこと)が祀られている倭姫宮(やまとひめのみや)があります。

創建は、大正十二年(1923年)であり、最も新しい宮となります。

 

明治二十年頃、この地域の住民を中心に、皇大神宮(内宮)創設に貢献された倭姫命(やまとひめのみこと)を祀る神社を創建しようという動きが高まりました。

帝国議会(当時の国会)でも予算が可決し、内宮の別宮として誕生します。

数ある別宮の中で、創建された年が明確なのは、倭姫宮(やまとひめのみや)のみです。

倭姫命(やまとひめのみこと)は、皇大神宮を創建した後も天照大御神の祭祀を続けて、この伊勢の地で薨去(こうきょ)つまりお亡くなりになりました。

近くには倭姫命が埋葬された『尾上御陵(おべごりょう)』もあります。

倭姫宮(やまとひめのみや)は、御陵の近くの山の一角を削り建てられた宮です。

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倭姫宮の長い参道も、月讀宮(つきよみのみや)同様に木々に囲まれてひじょうに神秘であります。

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突き当たりまで行くと、右手側に石段があります。

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登り終えると倭姫命が鎮座されている宮が見えます。

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左手には手水舎があります。

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宿衛屋(しゅくえいや)もあり、お守りやお札の授与、御朱印もいただけます。

手口を清めましたら、いよいよ倭姫命の御魂が鎮座されている宮へ向かいます。

 

倭姫宮

御祭神 倭姫命 内宮別宮 第十位

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御祭神は、

倭姫命(やまとひめのみこと)

倭姫宮(やまとひめのみこと)では、一柱の神様のみが祀られています。

内宮と外宮の境外にある別宮では、一般の神社と同様に摂社もありますが、倭姫宮(やまとひめのみや)のみが一柱の神様となっております。

珍しい形式です。

 

倭姫命

第11代垂仁天皇(すいにんてんのう)の第四皇女。

伯母に当たる豊鍬入姫命(とよすきいりびめのみこと) から、天照大御神を祀る聖なる地を探し求める使命を受け継ぎました。

神話の時代の天孫降臨(てんそんこうりん)より、天の御子(みこ)が三種の神器を継承して祀り奉っていました。

しかし第10代崇神天皇(すじんてんのう)が、天照大御神の霊力があまりにも強く畏れ多いということで、皇居とは別の地でお祀りすることを決められました。

その地を探すお役目は、崇神天皇(すじんてんのう)の皇女である豊鍬入姫命(とよすきいりびめのみこと)に託されました。

大和の地をはじめ、遠くは尾張の地も含めて、鎮座にふさわしい地を探しまわりました。

現代の様に、地図があるわけでもありません。

その旅はひじょうに厳しく大変なものだったでしょう。

やがて豊鍬入姫命(とよすきいりびめのみこと)も歳をとります。

そして姪である倭姫命(やまとひめのみこと)が、その任務を受け継ぐことになったのです。

数十年かけてようやく五十鈴川が流れる地に巡り会えます。

その時、倭姫命(やまとひめのみこと)の心に、天照大御神の声が聞こえました。

 

「ここは都から離れて辺境の地ではあるけれど、空気も水もとても美味しい。この地に留まりたい。」

 

倭姫命(やまとひめのみこと)は、五十鈴川の地で御魂を祀り奉ることを決め、ここに皇大神宮が誕生します。

伯母の豊鍬入姫命(とよすきいりびめのみこと)から姪の倭姫命(やまとひめのみこと)。

数十年の月日が流れておりました。

まさに二世代に渡り、そして妥協なしで探しまわられたのです。

都から遠く離れた地で皇祖神が祀られている理由には、そういう物語が存在しております。

 

神宮が建てられるまでに、天照大御神の御魂が鎮座して祀られた所を、『元伊勢(もといせ)』と言います。

数ある元伊勢(もといせ)の中で別宮(わけみや)となっているのは、『瀧原宮(たきはらのみや)※内宮別宮第六位』のみです。

倭姫命(やまとひめのみこと)は、神宮を創設した後も伊勢の地に残り、生涯を通じて天照大御神様の側でお祀りなさりました。

 

豊鋤入姫命(とよすきいりびめのみこと)と倭姫命(やまとひめのみこと)お二人の皇女が、天照大御神のお側に仕えて祭祀を行った経験が、後に慣しとなり皇族女子がそのお役目を引き継いでいきます。

これを『斎宮(さいぐう)』といいます。

 

斎宮

現在、伊勢神宮の祭主は、女性皇族がされております。

天皇陛下の姉君にあたる池田厚子様です。

そしてその祭主の補佐役である臨時祭主には、天皇陛下の皇女となられる黒田清子様がされております。

 

このかたちは古代にもありました。

内宮に鎮座される天照大御神の祭祀は、女性皇族の任務でした。

『斎宮(さいぐう)』といいます。

天皇の代が替わるごとに、皇族女性から選ぶことになります。

そして都から伊勢へ派遣されていました。

都から伊勢へ向かうまでには段階を踏みます。

 

最初は皇居である大内裏(だいだいり)の舎殿、又は便宜上の場所でお過ごしになる『書斎院(しょさいいん)』。

次に都の外れにある清浄な地に宮を建てて過ごされる『野宮(ののみや)』。

約2年間、神のお側に仕える為に心身をしっかりと清めます。

そして、伊勢の地に建てる『斎宮寮(さいぐうりょう)』で、祭祀を行います。

 

倭姫命(やまとひめのみこと)も、神宮を建ててからは、神宮の離れに宮を建てて籠もりを行いました。

斎宮の原型とも言われています。

 

倭姫命に想う

美しい五十鈴川の側に創建された伊勢神宮。

内宮の境内の御手洗場(みたらしば)となる五十鈴川は、倭姫命(やまとひめのみこと)も禊(みそぎ)をされたという伝説があります。

今に至っても、一般参拝者は五十鈴川にて手や口をゆすいで清めます。

斎宮の様に、現在は皇女にあたるお方が神宮の祭主を務められております。

どれも倭姫命(やまとひめのみこと)が起源となっております。

倭姫命(やまとひめのみこと)が行われていたことは、私たちが生きる現在でも見ることができます。

 

叔母の豊鋤入姫命(とよすきいりびめのみこと)から、重大な任務を受け継ぎ聖なる地を探し求めたことは、命懸けであったと思われます。

伊勢一帯にしても、人が通りやすい道が存在していたわけではありません。

険しい山々を乗り越えても、良い場所が見つかる保証はありません。

遠いところでは、尾張まで行かれました。

何十年もかけてひたすら聖なる地を探し求めました。

一時期は、瀧原宮(たきはらのみや)を鎮座していただく地として定まりかけましたが、天照大御神の御魂は五十鈴川のほとりをお求めになられました。

電車があるわけでもありませんので、すべてご自身の足で、そして現在とは異なり険しい道のりを越えて移動されます。

五十鈴川のほとりで、天照大御神の神託を聞かれた時の倭姫命(やまとひめのみこと)の心境は如何なものだったでしょう。

 

内宮の境内に入るまでは、五十鈴川を越えなければなりません。

『宇治橋(うじばし)』という橋を渡ります。

橋の前後には大きな鳥居があります。

その鳥居の間を、美しい朝日が昇っていきます。

太陽神である天照大御神が鎮座される地にふさわしい光景です。

 

倭姫命(やまとひめのみこと)をはじめ神宮創建にまつわる話は、遥か大昔の事であり伝説として語り継がれてはおりますが、当時の詳しい資料は残っておりません。

ただ、古くから伝わる神話を通して、聖なる伊勢神宮の昔を感じることが出来ます。

創建のきっかけやその経緯を詳しく記録で残っている宮は、明治から大正にかけての『倭姫宮(やまとひめのみや)』のみとなります。

 

たとえ細かく詳しい事が分からなくても、神宮が昔から存在している事は事実であり、式年遷宮も1300年以上前から続いております。この事実は決して変わることはなく、起源となる神話と伝説はあなどれません。

 

倭姫命(やまとひめのみこと)は、神話の英雄である『日本武尊(やまとたけるのみこと)』の叔母にあたります。

日本武尊(やまとたけるのみこと)の父は、第13代景行天皇(けいこうてんのう)です。

景行天皇(けいこうてんのう)と倭姫命(やまとひめのみこと)は、同腹の兄と妹の関係であります。

日本武尊(やまとたけるのみこと)が、父の景行天皇(けいこうてんのう)の命により東の地へ遠征に行かれる際、伊勢にいる叔母の所へ立ち寄りました。

その叔母とはお察しの通り、倭姫命(やまとひめのみこと)です。

倭姫命(やまとひめのみこと)は、甥のために『草薙の劍(くさなぎのつるぎ)』を渡しております。

『八咫の鏡(やたのかがみ)』と共に、劍も倭姫命(やまとひめのみこと)が所持しておりました。

天照大御神から、邇邇芸命(ににぎのみこと)に授けられた三種の神器。

以降、御子(みこ)たちが受け継ぎ、歴代天皇の皇位継承の証となります。

大切な剣を託して武運を祈りますが、その日本武尊(やまとたけるのみこと)は、途中で大切な宝剣を尾張の地に置いてしまわれます。

結果、命を落としてしまうことになるのですが、草薙の劍(くさなぎのつるぎ)は尾張の地で祀られることになります。

『熱田神宮(あつたじんぐう)』です。

今から1900年以上も前の物語です。

 

神話の伝説の中でも重要な人物の位置をしめる倭姫命(やまとひめのみこと)。

時が流れて、私たちがお伊勢さんへお参り出来るのは、倭姫宮(やまとひめのみや)の御祭神である倭姫命(やまとひめのみこと) のおかげです。

そんな物語に思いを馳せるだけでも、神宮の参拝から感じれる感動は幾重にも大きくなるのではないでしょうか。


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