月讀宮境内


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外宮別宮と同じ神様が鎮座しております内宮別宮『月讀宮(つきよみのみや)』です。

内宮の境外にある別宮では最上位となります。 内宮の隣にある国道を北へのぼっていくと辿り着きます。

表参道から入るときは、国道から途中で分岐される一般道に入っていきます。

長い参道は、内宮や外宮とは異なる空間となっております。 DSC00285DSC00283

境内には、宿衛屋(しゅくえいや)もあります。 御守り、お札、御朱印はこちらにて。 DSC00262

 

こちらの宮は非常に珍しく、社殿が4つ横一列に並んで鎮座しておられます。 DSC00259 DSC00545

月讀宮

御祭神 月讀宮 内宮別宮 第二位

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御祭神は、

『月讀尊(つきよみのみこと)』

です。

外宮別宮の月夜見尊(つきよみのみこと)と同じ神様です。

天照大御神の弟神であり、こちらは和魂(にぎたま)となります。

内宮別宮では第二位。

拝所の敷地内では、入って2番目の社殿です。

月讀荒御魂宮

御祭神 月讀尊荒御魂 内宮別宮 第三位

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御祭神は、

『月讀尊荒御魂(つきよみのみことあらみたま)』

です。 外宮の月夜見宮(つきよみのみや)とは異なり、和魂と荒魂は別々の宮に鎮座されております。

内宮別宮では第三位。

拝所の敷地内に入って一番手前にの社殿です。

伊佐奈岐宮

御祭神 伊弉諾尊 内宮別宮 第四位

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御祭神は、

伊弉諾尊(いざなぎのみこと)

です。

天照大御神、月讀神(つきよみのかみ)、須佐之男神(すさのおのかみ)の親神となります。

伊弉諾尊(いざなぎのみこと)は男神であり、『伊弉冉尊(いざなみのみこと)』と夫婦であります。

『き』の大和言葉は、「男性」を意味します。

翁(おきな)の『き』も男性であり、男性のご年配をさします。

ちなみに嫗(おみな)の『み』は女性を意味し、老女をさします。

夫婦神であることから、名前も「いざなう男」、「いざなう女」を意味していると思われます。

内宮別宮第四位。

拝所の敷地内に入って3番目の社殿です。

伊佐奈彌宮

御祭神 伊弉冉尊 内宮別宮 第五位

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御祭神は、

伊弉冉尊(いざなみのみこと)

です。

女神でありまして、隣の伊弉諾尊(いざなぎのみこと)とは夫婦です。

こちらの夫婦神が、日本の島々、そして多くの神様をお産みになりました。

神話では、『国産み』、『神産み』と言われています。

火の神様をお産みになった際、大やけどを負い、それが原因で黄泉の世界へ旅立たれます。

黄泉の世界とは、俗にいう『あの世』。

伊弉諾尊(いざなぎのみこと)は、伊弉冉尊(いざなみのみこと)に会う為に黄泉の世界へ向かいますが、最終的に二人は離縁する事になります。

そして伊弉諾尊(いざなぎのみこと)は『この世』、伊弉冉尊(いざなみのみこと)は『あの世』を司る神として、それぞれの道を歩む事になるのです。

内宮別宮第五位。

拝所の敷地内に入って4番目の社殿です。

参拝順

参拝する順番は、基本的に和御魂(にぎみたま)からとなりますので、拝所の敷地内に入って2番目の『月讀宮(つきよみのみや)』が最初になります。

次に、一番手前の『月讀荒御魂宮(つきよみのあらみたまのみや)』。

そして、三番目の『伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)』。

最後に、四番前の『伊佐奈彌宮(いざなみのみや)』となります。

神話に登場する神様、そして親子神が鎮座されております。

静かで落ち着きのある雰囲気が漂っています。

三貴神の誕生

三貴神と書いて「さんきしん」、または「みはしらのうずのみこ」と言います。

天照大御神、月読神(つきよみのかみ)、須佐之男神(すさのおのかみ)の三神のことです。

黄泉の国から帰って来られた伊弉諾尊(いざなぎのみこと)は、穢れた体を清めました。

その時に、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の体から、数々の神様が成り立ちました。

そして特に尊い三柱の神様が成り立ったので、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)はそれぞれの世界の統治を命じたのです。

天照大御神は、高天原(たかまのはら)。神の住む世界です。

月讀神は、夜の世界。

須佐之男神は、大海原。

日本人がお風呂に入る習慣も、この伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の『禊(みそぎ)』が由縁であると考えられています。

一日の汚れや疲れをお風呂で湯槽に浸かることで、しっかりと落とす作業。

神話の時代、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)という国産み、神産みを行った神様が行われたことです。

日本の生活風習は、神話から成り立っている事が多いです。

神の誕生 成ると生む

ところで三貴神は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)から『成った』神様です。

神様は、大きく分けると『成る』と『生まれる』の2つの方法で誕生します。

『生まれる』は、人間と同じ父と母がいて初めて成立します。

しかし『成る』は、神様の体の一部から誕生したり、何かの物事の発生により成立します。

伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が、火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)を斬った際に、その血から誕生した神々は『成る』となります。

天照大御神は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が左目を洗った時に成った神様。

月讀神は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が右目を洗った時に成った神様。

須佐之男神は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が鼻を洗った時に成った神様。

尚、天孫『邇邇芸命(ににぎのみこと)』は、『生む』にて誕生されています。

父は、『天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)』。

母は、『栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)』。

人間と同じ様な形式で生まれて来られました。

しかし邇邇芸命(ににぎのみこと)の父である天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)は、『生む』で誕生していません。

天照大御神の勾玉から『成る』ことによって、誕生されました。

天照大御神の神勅により、皇位が今も継承されています。

世界の王朝でも最長であります。

皇位は万世一系の血筋で成り立っていると言われていますが、天照大御神のお孫にあたる『邇邇芸命(ににぎのみこと)』から初めて血筋の概念が成り立ち、以降は息子から息子へと成立する特別な血統の持ち主だけで受け継がれています。

しかし皇位の継承は、親子で受け継がれるわけではありません。

あくまでも邇邇芸命(ににぎのみこと)から始まり、初代神武天皇から父子、父子と延々に繋がっていく特別な限られた血統者のみで継承されていっているのです。

外国の王朝は、この様な血筋では成立を続ける事は出来ませんでした。

日本の皇位継承のみが、万世一系で守り続けられております。

4つの宮

元々は、月讀宮、月讀荒御魂宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈彌宮の4社を合わせて『月讀宮』と呼んでいたそうです。

第50代『桓武天皇』の時代である『皇大神宮儀式帳(こうたいじんぐうぎしきちょう)』に記載されております。

第56代『清和天皇』の時代にて、伊佐奈岐宮、伊佐奈彌宮の宮号が与えられました。

第60代『醍醐天皇』の時代には、月讀宮と月讀荒御魂宮で一院、伊佐奈岐宮と伊佐奈彌宮で一院という風に別れたそうです。

今の形で4社に別れたのは、明治に入ってからの事です。

遷宮する為の敷地は、通常なら左右に並んで位置していますが、月讀宮は並んでおりません。

少し離れた裏地にて宮を建て、遷宮されます。

葭原神社

御祭神 佐佐津比古命、宇加乃御玉御祖命、伊加利比賣命 内宮末社 第十六位   

月讀宮境内に鎮座されます『葭原神社(あしはらじんじゃ)』。 内宮の末社になりまして、第十六位。

御祭神は、

『佐佐津比古命(ささつひこのみこと)』、『宇加乃御玉御祖命(うかのみたまのみおやのみこと)』、『伊加利比賣命(いかりひめのみこと)

の三柱となります。

社名の葭原(あしはら)から、この一帯はヨシ原であったことがうかがえます。

ヨシとはイネ科のひとつです。

日本の古名には、『豊葦原瑞穂国(とよあしはらみずほのくに)』というのがあります。

『葦(あし)』は、社名の『葭(あし)』と同じでして、『瑞穂(みずほ)』とは、稲穂がみずみずしく実っていることを表します。

高天原(たかまのはら)と黄泉の国との間にあるとされています。

美しいヨシ原が広がっていたと思われる葭原神社(あしはらじんじゃ)の御祭神は、農耕とひじょうに関わり深い神様です。

佐佐津比古命

大歳神(おおとしがみ)の子であると、『皇大神宮儀式帳(こうたいじんぐうぎしきちょう)』に記されています。

ちなみに大歳神(おおとしがみ)とは須佐之男神(すさのおのかみ)の子であり、お正月に各家にやってくる神様と言われています。

門松は大歳神(おおとしがみ)の『依代(よりしろ)』と言われています。

依代とは、神様が降り立つ場所と理解してよいでしょう。

ご神体もそういう意味合いがあります。

また大歳神(おおとしがみ)は、穀物の神様でもあります。

同母弟に稲荷の主祭神でもある『宇迦御魂神(うかのみたまのかみ)』がおられます。

佐佐津比古命(ささつひこのみこと)は、穀物の神である父と叔父をもつ神様です。

宇加乃御玉御祖神

稲荷の主祭神である『宇迦御魂神(うかのみたまのかみ)』と同じ神様であると、『大神宮儀式解(だいじんぐうぎしきげ)』で記されています。

同母兄に、大歳神(おおとしがみ)がおられます。

伊加利比賣命

伊加利比賣命(いかりひめのみこと)。

やはりこちらも田と関係する神様であると『神宮典略(じんぐうてんりゃく)』に記されています。

地元からは、『伊賀井の森』とも呼ばれています。

これは伊加利比賣命(いかりひめのみこと)の名前から来ていると思われます。

再興に向けて

中世の頃、葭原神社(あしはらじんじゃ)をはじめ、摂末社の社殿が興廃してしまいました。

戦国の世も重なり、そのまま数百年の月日が経ちましたが、明治の始め頃より再興の動きが起こりました。

興廃した摂末社21社すべての再興は叶いませんでした。

再興出来たのは、6社のみであります。

『小社神社(おごそじんじゃ)※内宮末社第四位』と共に、『御塩殿神社(みしおどのじんじゃ)※内宮所管社第十三社』の古材にて造営されました。 その後は、大正七年(1918年)と昭和三十二年(1957年)に建て替えられています。

月讀宮は、国土をお産みになった親神(伊弉諾尊、伊弉冉尊)と並んで祀られています。

またこの世とあの世を司る親神が鎮座されているので、参道も神域を歩いている不思議な感覚を感じます。

しかし、とても優しい雰囲気に包まれる宮です。


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