外宮から近鉄バスが出ていますので、それを利用するのが便利です。
内宮は、皇室のご先祖である皇祖神、日本人の総氏神である『天照大御神(あまてらすのおおみかみ)』が鎮座されております。
『第10代崇神天皇(すじんてんのう)』の時代まで遡ります。
天皇のお住まいである皇居に眠っておられた天照大御神の御魂が鎮まるご神体『八咫の鏡(やたのかがみ)』。
その霊徳があまりにも強く畏れ多いということで、皇女である『豊鍬入姫命(とよすきいりびめのみこと)』が、鎮座するにふさわしい場所を探しに旅に出ました。
今の伊勢の地にとどまるまで、大和の国を中心に様々な地に御霊が鎮座されました。その地を『元伊勢(もといせ)』といいます。
今もその元伊勢の伝承が残っています。
しかし豊鍬入姫命(とよすきいりびめのみこと)も歳をとります。
当時は、地図などもありません。
天照大御神が鎮座するにふさわしい場所を探す役目は、姪っ子の『倭姫命(やまとひめのみこと)』に譲ります。
倭姫命(やまとひめのみこと)は、『第11代垂仁天皇(すいにんてんのう)』の皇女にあたります。
日本神話でも有名な英雄『ヤマトタケルノミコト』の叔母にあたります。
倭姫命(やまとひめのみこと)は、五十鈴川(いすずがわ)付近にて、天照大御神の御魂の声を聞きます。
「この地にとどまりたい。」
その声を神託とし、今の伊勢神宮が誕生するわけです。
その五十鈴川を渡る前の大きな橋「宇治橋」と大きな鳥居です。
この鳥居の間を日の出が通ります。
まさしく太陽神『天照大御神』を祭るにふさわしい場所です。
宇治橋には、天照皇太神宮という字も彫られています。
宇治橋を渡り、玉砂利の境内に入ると、とにかく空が広く神聖な領域となります。
進むと、右手に手水舎(てみずしゃ)があります。
鳥居をくぐると、また右手側に『五十鈴川』があります。
とても美しく、昔はここで心身清めて参拝に臨んだといわれています。
川にお賽銭がありますが、そういう場所ではありませんので、誤解のない様にお願いします。
『御手洗場(みたらしば)』です。
この美しい五十鈴川で、倭姫命(やまとひめのみこと)は、すその汚れを洗ったという伝説があります。
手水舎(てみずしゃ)で清めた後ですが、この御手洗場(みたらしば)でも、手、口を清める事も推奨されています。
振り返り右側の道を登っていくと、右手に『滝祭神(たきまつりのかみ)』が鎮座されております。
滝祭神
御祭神 滝祭大神
内宮所管社 首位
祭神は、
『滝祭大神(たきまつりのおおかみ)』
所管社ではありますが、別宮と同様の祭祀が行われます。
※摂社より上の扱い
五十鈴川の水神です。
通常、摂社、末社にはお賽銭箱はありませんが、滝祭神だけは設置されております。
社殿がなく、ご神体が囲いの中から見える様になっております。
このつくりにおいては、詳細は明らかではありません。
「深く所以(ゆえん)有る故」
と大神宮儀式解(だいじんぐうぎしきげ)に記載されております。※安永4年(1775年)
地元からは『おとりつぎさん』と呼ばれ、御正宮の前に参拝すると、天照大御神に願いことを取り次いでくれると言われています。
大木に囲まれた参道を歩くと、マイナスイオンがたっぷりで何か大きな存在に見守られている気持ちになります。
さらに鳥居をくぐると、社務所や神楽殿があります。
社務所でお守りやお札を購入して、神棚に祭るのも良いでしょう。
大きな木に手を当ててみると、何百年も前から存在する大きなエネルギーを感じますでしょうか?表面がつるつるなのも、参拝者が手を当ててるからです。
神宮内にある木には、そういうところが随所にあります。
そしていよいよ天照大御神が鎮座されている御正宮です。
御正宮
御祭神 天照坐皇大御神
御祭神は、
『天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)』
皇室のご先祖である皇祖神、そして私たち日本人の総氏神です。
大自然の恩恵を受けて、世の中に存在するものは美しく輝きます。
太古の昔より、自然の恵みに感謝して生きてきた先人方が、日本の国柄を作ってきました。
偉大なる神様に手を合わせて、感謝の気持ちを述べましょう。
そうすると、きっと心も安らかになるでしょう。
参拝場所からは見えませんが、さらに奥にある本殿にご神体が鎮座されております。
三種の神器『八咫の鏡(やたのかがみ)』です。
神話の時代より伝わりし宝鏡がまさにここにあるのです。
神話では『天孫降臨(てんそんこうりん)』の部分でして、天照大御神のお孫様が地上へ下る時にお持ちになられた鏡です。
初代天皇の曾祖父となる『邇邇芸命(ににぎのみこと)』は、三種の神器と共に地上に降り立ちました。
その時には私たち日本人の主食であるお米の稲も、邇邇芸命(ににぎのみこと)に天照大御神が渡されたそうです。
尚、写真は階段に登ってからは撮ってはいけません。
尊い神様であります。
ルールは、皆で守りましょう。
今度は、荒祭宮(あらまつりのみや)へ向かいます。
来た道を一旦戻りますが、途中で右手の道へ進みます。
その左手側に『御稲御倉(みしねのみくら)』があります。
御稲御倉
御祭神 御稲御倉神
内宮所管社 第六位
祭神は、
『御稲御倉神(みしねのみくらのかみ)』
『内宮所管社』です。
神宮神田で収穫された稲を納める倉。
抜稲(ぬいぼ)にして納められています。
『御稲奉下(ごとうほうげ)』にて、天照大御神の大御饌(おおみけ)となります。
つまり天照大御神様へ捧げられる稲が納められているのです。
御稲奉下(ごとうほうげ)とは、前日から身を清めた神職さんが、この御倉から稲を取り出すことをいいます。
御稲奉下(ごとうほうげ)にて、竈(かまど)で蒸して炊き上げて、御正宮、荒祭宮、滝祭神へ捧げられます。
内宮の祭事の時も、こちらで祭が行われます。
古代から存在したといわれる御倉です。
この場所に固定されたのは、明治になってからの事です。
さらに進むと、『外幣殿(げへいでん)』があります。
外幣殿
祭祀の時に神様へ奉献(ほうけん)する『幣帛(へいはく)』があります。
内宮の中には、祭祀に関わるものがたくさんあります。
そういうのを知る上で参道を歩くだけでも、大変有り難い気持ちになれると思います。
そしてちょうど御正宮の後ろ辺りに辿り着きます。
左手にある階段を降りていきます。
途中で変わった石に遭遇します。
こちらは、「天」の字に見えるという事で、天照大御神の「天」の字であるわけですから、この石を踏まない様にしなければなりません。
『踏まぬ石』とも呼ばれています。
外宮の多賀宮(たかのみや)、内宮ではこの荒祭宮(あらまつりのみや)。
共に『荒御魂(あらみたま)』が祀られている宮へ参る最中に、この様な変わった石に遭遇するのは奇遇ですね。
そしてこちらが、『荒祭宮(あらまつりのみや)』です。
荒祭宮
御祭神 天照坐皇大御神荒御魂
内宮別宮 首位
祭神は、
『天照大御神荒御魂(あまてらしますすめおおみかみあらみたま)』
です。
『内宮別宮の首位』であり、御正宮の次に尊い宮です。
他の別宮よりも造りが大きく、特別な宮です。
個人的なお願いごとをするのに良いとの事です。
まずは『御正宮』、そして『荒祭宮』へ参拝しましょう。
荒祭宮は木々に囲まれ、ほんとうに美しいところです。
道なりに歩いていくと、五丈殿が見えてきます。
祭祀などで使う所です。
その五丈殿の後ろには、所管社が2つ並んでおります。
由貴御倉
御祭神 由貴御倉神
内宮所管社 第七位
御祭神は、
『由貴御倉神(ゆきのみくらのかみ)』
荒祭宮(あらまつりのみや)へ参拝する途中にあった御稲御倉(みしねのみくら)と大きく関係しています。
鎌倉時代の書物である神宮の社殿や祭神が記された『神道五道書(しんとうごうぶしょ)』によると、由貴御倉神(ゆきのみくらのかみ)も、御稲御倉神(みしねのみくらのかみ)も、『宇迦御魂神(うかのみたまのかみ)』とあります。
宇迦御魂神(うかのみたまのかみ)は、お稲荷さんの主祭神であります。
穀物や神様です。農耕等に密接な関係のある神様ですね。
神様は色々な由緒などがあり、人々の信仰により、色々な形で祀られます。
神道ならではの御姿です。
御酒殿
御祭神 御酒殿神
内宮所管社 第五位
御祭神は、
『御酒殿神(みさかどののかみ)』
御神酒(おみき)が納められています。
外宮にも同じ神様が祀られています。
尚、外宮の御酒殿神は、一般参拝者は立ち入る事が出来ないところに鎮座されています。
由貴御倉、御酒殿の近くに、境内の四方四方を守護する神様が祀られています。
四至神
御祭神 四至神
内宮所管社 第八位
御祭神は、
『四至神(みやのめぐりのかみ)』
です。
四方の境界を守護する神様です。
社殿のない古来の神社の姿があります。
尚、岩などにも神が宿ると考えられ、このことを『磐座(いわくら)』といいます。
神楽殿、御饌殿
そして隣には、神楽殿(かぐらでん)、御饌殿(みけでん)があります。
風格のある造りです。
つい写真を撮りたくなります。
神楽殿(かぐらでん)、御饌殿(みけでん)の横も通り、左手にある別の参道へ入ります。
美しい木々の中を歩いていくと、鳥居に出くわします。
こちらの橋でも、大変美しい景色を眺めます。
五十鈴川の支流である島路川が綺麗です。
『風日祈宮橋(かざひのみやばし)』または、『五十鈴川橋』とも呼ばれています。
そして、いよいよ内宮別宮第9位となる『風日祈宮(かぜひのみのみや)』です。
風日祈宮
御祭神 級長津彦命、級長戸辺命
内宮別宮 第九位
祭神は、
『級長津彦命(しなつひこのみこと)』『級長戸辺命(しなとべのみこと)』
外宮別宮の風宮と同じ神様です。
元々は別宮ではなく、『風神社(ふうじんのやしろ)』として存在し、末社(まっしゃ)並でした。
伊勢神宮は上から、
御正宮→別宮(わけみや)→摂社(せっしゃ)→末社(せっしゃ)→所管社(しょかんしゃ)
という順位であります。
尚、一般の神社では境内に、本殿、拝殿、摂社、末社が存在しています。
風日祈宮(かざひのみのみや)が、なぜ別宮に昇格したのかというと、元寇襲来の際に神風を吹かせた神様と崇められたからです。
弘安四年(1281年)の事です。
そして、正応六年(1293年)に別宮へ昇格となりました。
風神社(ふうじんのやしろ)の頃は、農耕に適した雨風をもたらす神様でしたが、別宮へ昇格した際は、外宮の風宮と同じ神様として祀られる様になりました。
外宮の風宮も同じ経緯です。
国難が訪れた際は、在位中の天皇は一心に祈りを捧げられます。
「国難の原因は、自身の不徳から来るものである」
と受け取られるそうです。
天皇として皇位を継承された天子様は、古代よりそういう考えも受け継ぎ、平成の世になってもその御姿が変わる事はありません。
元寇襲来の頃は、『第90代亀山天皇(かめやまてんのう)※当時は攘夷して上皇』、『第91代後宇多(ごうだ)天皇』であります。
勅使を送り必死の祈りが行われ、その結果、神風が吹いたという事です。
国家の一大事を救った神様でありますから、以降国難の度に祈願の対象となりました。
幕末の国難においても、朝廷は『風日祈宮(内宮)』と『風宮(外宮)』にて15日間も攘夷の祈願を行われました。
『神嘗祭(かんなめさい)』では、 『懸税(かけぢから)』が供えられます。
懸税(かけぢから)とは、全国の初穂の束をいいます。
風日祈宮(かざひのみのみや)の参拝を終えましたら、美しい木々に囲まれて堪能しながら、歩いて来た道へ戻りましょう。
境内には、鶏が放し飼いなっております。
鯉も泳いでいます。
参拝はもちろん、境内を歩いているだけでも充分にパワーをいただける聖地です。
五十鈴川の上にかかる宇治橋を渡る前に、右手側に道があります。
こちらには、内宮所管社が2つ並んでおります。
神話に出て来る神様が祀られていますので、是非参拝しましょう。
大山祇神社
祭神 大山祇神
内宮所管社 第二十九位
旧称は、『山神社』。
御祭神は、
『大山祇神(おおやまつみのかみ)』
山の神様です。
『伊佐奈岐神(いざなぎのかみ)』と『伊佐奈弥神(いざなみのかみ)』による国産み神産みの時代まで遡ります。
火の神様である『火之迦具土神(かぐつちのかみ)』を産んだことをきっかけに、伊佐奈弥神(いざなみのかみ)は死んでしまわれます。
嘆き悲しんだ伊佐奈岐神(いざなぎのかみ)は、火之迦具土神(かぐつちのかみ)を斬ってしまわれます。
大山祇神(おおやまつみのかみ)は、その際に産まれた神様です。
現在においても日本列島の7割は山であると言われています。
神話の時代においては、ほとんどが山といって良いでしょう。
その山を司る神様でありますから、日本列島にとっても偉大な神様であります。
式年遷宮に使われるヒノキは、かつて伊勢の山である『神路山』、『島路山』から使われていました。
遷宮に使うヒノキ調達となる山を『御杣山(みそまやま)』といいます。
『山口祭(やまぐちさい)』と呼ばれる遷宮で一番最初に行われる祭祀があります。
その祭祀は、この大山祇神社(おおやまつみじんじゃ)で行われてました。
御杣山(みそまやま)が、伊勢とは別の山に移る共に、祭場も大山祇神社(おおやまつちじんじゃ)から移動しました。
子安神社
御祭神 木花開耶姫神
内宮所管社 第三十位
御祭神は、
『木花開耶姫神(このはなさくやひめのかみ)』
天孫『邇邇芸命(ににぎのみこと)』の妻となる神様です。
また、隣に祀られている大山祇神(おおやまつみのかみ)の娘でもあります。
邇邇芸命(ににぎのみこと)が、天照大御神からの命を受けて、地上に降り立ちます。
これを『天孫降臨(てんそんこうりん)』です。
神話の中でも最も美しい神様と言われています。
一夜で子を身ごもった為、邇邇芸命(ににぎのみこと)は「別の神の子ではないか?」と疑ってしまわれます。
木花開耶姫神(このはなさくやひめのかみ)は、紛れもなく天孫である邇邇芸命(ににぎのみこと)の子を身ごもった事を証明する為に、命懸けで産む事を決意します。
産屋に火をつけた状態で、子を産みました。
疑われた事に対する哀しみと並ならぬ決意の現れでしょう。
産まれた子は、初代天皇となる『神武天皇』の祖父にあたります。
『火遠理命(ほおりのみこと)』といいまして、海の神の娘を娶ります。
高天原(たかまのはら)と呼ばれる神の世界から、この地上に降り立った邇邇芸命(ににぎのみこと)は、山の神の娘を娶ります。
そしてその間に産まれた火遠理命(ほおりのみこと)は、海の神の娘を娶ります。
その間に産まれた『鵜草葦不合命(うがやふきあえずのみこと)』の子が、大和の地で一番最初の天皇に即位し、日本建国に至ります。
神の世界を司る『天照大御神』からの神勅を受けて地上に降り立った邇邇芸命(ににぎのみこと)の血筋は、
「山→海」と順を追って、世代を経てこの日本列島の統治権を得ていくのです。
この父から子への血筋の継承は、皇位継承の基礎を固めた事にもなります。
この子安神社に祀られている木花開耶姫神(このはなさくやひめのかみ)は、とても美しくそしてとても芯の強い神様です。
産屋に火をつけて子をお産みになった神様でもありますから、安産、子授け、縁結び、厄除けの祈願対象にもなっております。
また木花開耶姫神(このはなさくやひめのかみ)は、日本人の誇りでもある富士山を信仰している『富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)』の主祭神でもあります。
内宮の地で、天照大御神をはじめ、神々の恩恵を受けた後に、さらに日本建国にまつわった二柱の神様にも手を合わしたいものです。
ちなみに伊勢神宮の摂社、末社、所管社にはお賽銭箱がありませんが、こちらの二社に関しては設置されており珍しい形式です。
そして参拝を終えましたら、五十鈴川にかかる宇治橋を渡り、美しい風景を眺めながら帰りましょう。
神話を知れば、この内宮での参拝の有り難みが幾分にも増します。
是非、日本一の聖地を堪能して下さい。