外宮(豊受大神宮)境内


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外宮境内の中をご紹介します。

JR、近鉄の伊勢市駅から徒歩10分以内の所に鎮座されている衣食住の神様『豊受大御神(とようけのおおみかみ)』。

『外宮』と呼ばれています。

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境内に入ると、手水舎がありますが、その隣には『遷宮館(せんぐうかん)』と言いまして、式年遷宮や伊勢神宮にまつわる資料館があります。

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鳥居をくぐり参道を歩いていくと、神楽殿があり、さらに奥には『豊受大御神(とようけのおおみかみ)』が鎮座されている御正宮があります。

 

御正宮

御祭神 豊受大御神

DSC00648御祭神は、

『豊受大御神(とようけのおおみかみ)』

衣食住の神様です。

御正宮の隣には、遷宮前の宮があります。

平成26年3月末日まで、そのお姿がこの様な感じで眺める事が出来ました。

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とにかく遷宮前と遷宮後ではまるっきり雰囲気が異なります。

「御魂が移られただけでここまで雰囲気が異なるのか?」というくらいでして、「住んでいる家と空き家」との違いの様なものが感じられます。

この感覚は、単に「古い家と新しい家」との違いではなく、まさしく「生きているか生きていないか」の違いです。

 

御正宮の後ろには道が続いております。

その付近にこういうのがあります。

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参拝者はよくこの周りで手をかざします。

神職さんに伺ったところ、

「祭事の時に使うが特別に何かが祀られているわけでもない。」

との事です。

しかし、

「神道には絶対というものもないので、参拝者が何かを感じて手をかざされるなら特に止めもしない。」

との事でした。

現在に至っても、太古の昔より信仰深い精神が私たちの中に宿っているのでしょう。

 

ちょうど後ろに池がありますが、『亀石』という小さな橋で渡る事が出来ます。

亀石は、天岩戸の伝説地のひとつとされる外宮の裏山『高倉山』にある古墳の一部から運ばれたといわれています。

 

『外宮の別宮(わけみや)』である、『土宮(つちのみや)』、『風宮(かぜのみや)』、『多賀宮(たかのみや)』へ向かう事が出来ます。

まずは亀石を渡り右手には、土宮。

 

土宮

御祭神 大土乃御祖神

外宮別宮 第二位

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CIMG4301御祭神は、

『大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)』

この地の地主の神様です。

鎌倉時代、『度会行忠(わたらいゆきただ)』という外宮の禰宜(ねぎ)が書いた『神名秘書』によると、

『山田原地主の大年神』、『宇迦御魂神(うかのみたまのかみ)』、『土御祖神(つちのみおやのかみ)』の3座であります。

別宮(わけみや)に昇格した経緯については、昔から宮川(外宮付近に流れる川)の氾濫が激しく、土の神様の格式を上げる事により、洪水防護の祈念を高めたと言われています。

 

亀石を渡り、左手には風宮があります。

 

風宮

御祭神 級長津彦命、級長戸辺命  

外宮別宮 第四位

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CIMG4302御祭神は、

『級長津彦命(しなつひこのみこと)』、『級長戸辺命(しなとべのみこと)』

の二柱。

日本神話では、日本を作った神『伊邪那岐神(いざなぎのかみ)』が、朝霧を吹き払った息から成った神様とあります。

『しな』というのは、息が長いという意味があるそうです。

またこちらの神様は、内宮の別宮としても祀られております。

 

風宮と土宮に98段ある石段があります。それを登っていくと豊受大御神の荒御霊が祀られている『多賀宮(たかのみや)』があります。

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多賀宮の直前に面白い形した石があります。

この写真から何に見えますか?

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写真の下に顔があります。

これは逆さまではありますが、そのお顔が笑っている様に見えますか?

それとも怒っている様に見えますか?

笑っている様に見えると、その人の心が清いとの事です。

石段を登っていると左側にありますので、是非その目で確かめてみて下さい。

 

そして『多賀宮』に辿り着きます。

 

多賀宮

御祭神 豊受大御神 

外宮別宮 首位

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外宮の別宮では最高位となります。

先ほどご紹介した通り祭神は、

『豊受大御神荒御霊(とようけのおおみかみあらみたま)』

です。

『荒御霊』については、こちらで紹介します。

こちらは格式の高い宮でありまして、『延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)』にも記載されています。

外宮の別宮では多賀宮(たかのみや)だけです。

 

延喜式とは、第60代『醍醐天皇』の時代、延喜5年(905年)から延長5年(927年)の間に編纂された、この国にある格式について記された書物です。

それに記された神社は『式内社(しきないしゃ)』と呼ばれ、昔より朝廷から重視されておりました。

多賀宮は、雄略天皇22年(478年)に、外宮創祀と同時に創建。

『祈年祭(としごいのまつり)』、『月次祭(つきなみのまつり)』、『神嘗祭(かんなめさい)』、『新嘗祭(にいなめさい)』には、皇室の勅使が外宮の正宮に次いで参行されます。

非常に格式の高い宮となります。

 

尚、高い所に鎮座されていたので、明治までは高宮(たかのみや)とも呼ばれていました。

多賀の字を用いたのも、演技の良い字を当てたとの事です。

 

外宮には内宮にはない神聖な空気が流れており、遷宮館にて式年遷宮をはじめ、伊勢神宮の成り立ちを知ることが出来るとても素晴らしい宮です。


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